今年(2013年)、一躍人気者になった現代文のカリスマ講師。
しかし、林が27歳で東進ハイスクールに採用された科目は、現代文ではなく、なんと、
林修(以下、林氏)「数学だったんですよ。現代文じゃなくて」
なぜ、数学から現代文に転向したのか?そこには、ある人物からの影響があった。
1984年、東京大学法学部に現役合格した林。すごい先生がいると聞き、科学史の講義に出た。
すると、
”凄い…”
林氏「あの衝撃は一生消えないですね。電気が走ったっていうか。こんな凄い人がいるんだなと。おっしゃっている内容も素晴らしいんですけども、それを伝える日本語のレベルがビックリするぐらい高くて」
林が衝撃を受けた人物こそ、
林氏「科学史研究の第一人者である、村上陽一郎先生です。とんでもない影響を受けましたね。染まったっていうぐらい。”真の知性とはかくあるべし”ということを、僕に教えてくれた人ですよ」
林が大絶賛する村上教授。直接話したことは一度もないが、
林氏「今の自分があるのは、ある意味、村上先生のおかげなんですよ」
林が27歳の時、大手予備校、東進ハイスクールに講師として採用された。科目は現代文ではなく、意外にも数学。
”でも数学は人気科目で講師のライバルも多いよな〜”
そんな時に思い浮かんだのが、村上教授のことだった。
林氏「あんな優秀な方がもっともっとメジャーな分野で十分活躍される能力をお持ちなのに、もしかしたら敵の少ない分野(科学史)をあえて選ばれたのかなって急に思い始めたんですよ。勝手に解釈して」
”村上教授は、ライバルの少ない分野をあえて選んだに違いない”
そこで、村上先生に取材したところ、林の推測は少しだけ当たっていた。
村上陽一郎教授「理科系に進みたかったんですけども、体を壊したためにそれを諦めた。科学史を選んだ理由は、自分の能力の範囲の中で、一番面白そうだったからではありますね」
村上先生も林も、一番得意でやりたい事をあきらめ、第二の道で成功していた。
林は講義で生徒に繰り返し伝える言葉がある。
それは、
林氏「たいした努力をしなくても勝てる場所で、誰よりも努力しなさい。ここなら勝てるって場所を1つ見つける。そうすることで、人生が一気に開ける」
勝てる可能性の高い所で勝負するのは、決して卑怯なことではない。
Reference:林修「たいした努力をしなくても勝てる場所で、誰よりも努力しなさい。ここなら勝てるって場所を1つ見つける。そうすることで、人生が一気に開ける」
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ー Mila Bron ”
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